前庭疾患はシニア犬が注意したい病気の一つ。急に真っ直ぐ歩けなくなったり、突然倒れて嘔吐をするなど、激しい症状が現れることもあります。ここでは犬の前庭疾患について、シニア犬の介護に詳しい獣医師の丸田先生に詳しいお話を伺います。
(TOP画像:Nick Fewings on Unsplash)
犬の前庭疾患とはどのような病気ですか?
平衡感覚を司る器官について
体のバランスを正しく保ったり、真っ直ぐに歩いたりできるのは、体の平衡感覚を司る器官が正常に働いているためです。耳の奥にある三半規管や前庭(ぜんてい)は、脳の平衡感覚の中枢と繋がっていて、体がどこを向いているのか、どのくらい傾いているのか、どのくらい動いているのかということを常に察知しています。これらの平衡感覚を司る器官をまとめて「前庭系」と呼びます。
平衡感覚を失う病気
前庭疾患は、この前庭系のどこかに異常が現れて、平衡感覚を失ってしまう病気です。平衡感覚を失うため、真っ直ぐ歩けなくなったり、体を正しい状態に保つことができなくなったりします。
突然激しい症状が現れることもあり、元気にお散歩に出かけた直後に倒れて起き上がれなくなり、倒れたままもがいて嘔吐を繰り返すこともあります。シニア犬では比較的よく見られる病気なので、飼い主さんはこのような病気があるということを知っておくと、いざというときに冷静に対応できるでしょう。
前庭疾患になるとどんな症状が見られますか?
前庭疾患の症状
前庭疾患を発症すると平衡感覚を失うため、体をまっすぐ保つことができなくなって、首を捻ったような状態(斜頸)になったり、眼球が小刻みに揺れる(眼振)ようになったりします。
また、運動機能に障害が出ることも多いです。障害の度合いによって現れる症状は異なりますが、真っ直ぐ歩けなくなったり、グルグルと円を描くように歩いたり(旋回)することもあれば、歩こうとしても倒れてしまい、起き上がろうとしてバタバタ転がったりすることもあります。
ずっとめまいが続いていると、ひどい乗り物酔いをしているような状態になり、呼吸の乱れ、嘔吐、食欲低下などの症状が現れることもあります。症状が強いと呼びかけに応じないこともありますが、犬の意識はハッキリしているので、飼い主さんの声はきちんと届いています。
症状はどのくらい続く?
前庭疾患の場合、重たい症状のピークは24時間と言われていて、2〜3日程度で少しずつ落ち着きを取り戻し、数週間で回復することが多いと言われています。しかし、実際は症状が長引くことも少なくありません。前庭疾患のせいで食欲をなくし、衰弱してしまうこともあるので、できるだけ早めに動物病院へ連れていき、適切な治療を受けさせてあげましょう。また、稀に再発することもあるので、症状が落ち着いた後もきちんと様子を見てあげてください。
前庭疾患によく似ている病気
突然歩けなくなったり、斜頸や眼振などの症状が現れることは他の病気でもありますが、前庭疾患の場合は、犬の意識がはっきりしていて、痙攣が起きることはありません。発症から24時間が症状のピークで、そこから数週間で少しずつ落ち着いていくことが多いです。
- 脳腫瘍:脳や脳を包む膜に腫瘍ができて、痙攣発作、旋回、眼振、斜頸などの症状が現れます。腫瘍ができた場所によって現れる症状は異なりますが、徐々に症状が重たくなっていくのが特徴です。
- 脳梗塞:脳の血管が破れたり詰まったりして、脳の組織が壊死する病気。斜頸や眼振、歩行異常、麻痺などの神経症状が現れます。
- てんかん:脳波の乱れにより、一時的な痙攣や意識障害を引き起こす病気。眼振や斜頚、よだれや、嘔吐などの症状が見られることもあります。
- 認知症:主に高齢の犬に見られる病気で、脳神経がうまく機能しなくなり、夜鳴きや徘徊などの症状が現れます。一方向にぐるぐると回ったり、同じ場所をうろうろと動いたりします。
前庭疾患の原因を教えてください
前庭疾患は大きく三つに分類されます。一つは耳の奥に異常があるタイプ、もう一つは脳に異常があるタイプ、それから検査をしてもなんの異常も見つからないタイプです。
原因① 耳の奥に異常があるタイプ
平衡感覚を司っている前庭系の器官のうち、耳の奥にある三半規管や前庭神経などに異常が起きて症状が現れるものを「末梢性前庭疾患」と言います。中耳炎や内耳炎、甲状腺機能低下症、耳の奥にできたポリープなどが原因で発症します。
原因② 脳に異常があるタイプ
小脳や延髄など、平衡感覚を司っている脳の中枢に異常が起きて発症するものを「中枢性前庭疾患」と言います。主な原因には、脳腫瘍、脳梗塞、脳出血、脳炎、頭部の外傷などがあります。前庭疾患のなかで中枢性のものはまれですが、残念ながら経過はあまりよくありません。
原因③ 異常が見られないタイプ
脳にも耳にも異常が見られないのに、平衡感覚を失ってしまう状態を「特発性前庭疾患」と言います。特発性とは原因不明という意味で、これはシニア犬に比較的多く見られます。気圧の変化を受けて発症することもあると言われていますが、はっきりした原因はわかっていません。
症状が現れたらどのように対処したらいいでしょうか?
すぐに動物病院へ
前庭疾患と思われる症状が見られたら、すぐに動物病院に連絡して指示を仰ぎましょう。症状が激しいと飼い主さんも動揺してしまうと思いますが、例え呼びかけに応じなくても犬の意識はハッキリしています。大声で呼びかけたり激しく揺すったりすると、症状が悪化する可能性があるので、まずは落ち着いてかかりつけの獣医師の指示に従ってください。
めまいがひどいときに体を動かすと余計気持ち悪くなってしまうので、動物病院へ連れて行くときはできるだけ体を動かさないようにしましょう。
愛犬を落ち着かせてあげて
前庭疾患を発症すると、犬自身も動揺することがあります。高く抱き上げるとパニックになって暴れたり、飛び降りようとする可能性があるので、抱き上げるときはまず飼い主さんが地面に座り、そっと抱き上げるようにしましょう。
呼びかけに応じなくても、飼い主さんから優しく声をかけたり、体をなでられたりすることで犬も少しは安心できると思います。治療が終わるまで、優しく勇気づけてあげてください。
動物病院ではどのような検査が必要になりますか?
必要になる検査
動物病院では姿勢の反応や歩き方、脊髄の反射などを調べる「神経学的検査」を行います。それとあわせて、問診と触診の結果から前庭疾患を疑われるときは、耳鏡検査で耳の中が汚れていないか、耳の奥にポリープ(できもの)ができていないかを調べます。また、シニア犬の場合は何かしらの基礎疾患が原因で脳に影響を及ぼしている可能性があるので、血液検査で全身の状態を確認することもあります。血液検査ではその子の体が治療薬に耐えられるかどうかを確認することもできます。ここまでは麻酔なしでできる検査です。
原因を特定するにはCTやMRIが必要
耳鏡検査や血液検査で異常が見つからない場合、原因を特定するためにはCTやMRIなどの画像検査が必要になります。画像検査で耳に異常が見つかれば末梢性前庭疾患、脳に異常が見つかれば中枢性前庭疾患、なにも異常が見つからなければ特発性前庭疾患ということになります。
ただし、CTやMRIをするためには全身麻酔をかけなくてはなりません。CTは無麻酔でできるケースもありますが、脳の状態を正確に調べるためには全身麻酔をかけて行うMRIが必要になります。
また、前庭疾患は原因を特定できても、現れた症状を和らげる「対症療法」になることが多いです。高齢になると麻酔のリスクも高くなるので、検査のために全身麻酔をかけるべきかどうかは、かかりつけの獣医師とよく話し合ってから判断するようにしましょう。
犬の前庭疾患ではどのような治療をするのでしょうか?
末梢性前庭疾患の治療
耳に異常が見つかったときは、投薬や手術で原因となっている病気を治療します。内耳炎や中耳炎では投薬による治療が一般的ですが、前庭疾患の症状が重たいと後遺症が残ってしまうこともあるので、このような場合は手術を勧められるケースもあります。
中枢性前庭疾患の場合
脳に異常が見つかった場合は、残念ながら治療の選択肢は限られています。例えば、脳腫瘍が見つかったら、手術で腫瘍を取り除く必要がありますが、平衡感覚を司る脳幹は脳の中心に存在しており、非常に難しい手術になります。積極的な治療を希望しない場合は、今現れている症状を和らげる対症療法をすることになるでしょう。
また、脳梗塞が見つかった場合も、これといった治療法がないので対症療法になることがほとんどです。
特発性前庭疾患の場合
シニア犬に多く見られる特発性前庭疾患では、検査をしても異常が見つからず、原因を特定することができません。そのため、投薬などで症状を抑えながら様子を見る対症療法が中心となります。
前庭疾患では対症療法になることが多い
このように、耳の奥に異常があるケースを除いて、前庭疾患の治療は対症療法になることが多いです。前庭疾患ではとにかく安静にすることが大切なので、落ち着かずに動き回るようなら鎮静剤を投与したり、嘔吐が続いて食事を取れない場合は栄養剤を投与したりして様子を見ます。脳に炎症が起きていると考えられるケースでは、炎症を抑えるためのステロイド薬を投与することもあります。
症状がひどい場合や自宅で安静にできないような場合には、数日間の入院を勧められることもあります。その子の年齢や性格も考慮しながら、獣医師としっかり相談して治療法を決めていくとよいでしょう。
犬の前庭疾患は治るのでしょうか?
症状が軽度であれば、数日から数週間のうちに改善して、今まで通りの生活を送れることがほとんどです。ただし、症状が重たいと後遺症が残ることも少なくありません。なかなか食欲が戻らなかったり、斜頸(首がねじれた状態)が長く残ったり、中にはそのまま寝たきりになってしまうこともあります。
また、脳腫瘍が原因になっているときは、脳腫瘍を完治させられるかどうかでその後の経過が決まります。積極的な治療を希望しない場合は、少しずつ症状が悪化していくでしょう。
自宅ではどのようなケアをしてあげたらいいでしょう?
無理のない範囲で刺激を与えて
激しい症状が現れているときは安静にさせておく必要がありますが、高齢になって動かないままの状態が続くと、あっという間に寝たきりになってしまうことも少なくありません。愛犬の様子が落ち着いてきたら、無理のない範囲で刺激を与えてあげましょう。外に出て草の匂いを嗅いだり、おひさまの温もりや風を感じることはいい刺激になるので、可能であれば抱っこやカートなどで外に連れ出し、静かな公園や芝生の上など落ち着ける場所におろしてあげましょう。
嘔吐がない場合には、なるべく愛犬を歩かせるように意識して。転倒して怪我をしないよう、飼い主さんがしっかりサポートしてあげてください。サポートしやすい介護用ハーネスや、怪我することなく歩ける車椅子などのアイテムを活用してもよいでしょう。ただし、車椅子の中には重心がずれると倒れてしまうものもあるので、転倒しない車椅子を選んでくださいね。
車椅子の選び方についてはこちらの記事で詳しく解説しています。
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ごはんはどうしたらいい?
愛犬の様子を見ながら、いつものフードを少しずつ与えてみてください。ただ、眼振がひどいと食べても吐いてしまうことがあります。嘔吐が続くと脱水や栄養不足の恐れがあるので、なかなか吐き気が落ちかない場合はかかりつけの動物病院へ連絡して指示を仰ぎましょう。吐き気が落ち着いてきたら、スープや甘酒などの消化にいい食べ物や、ぬるま湯でふやかしたドライフードなど、愛犬が食べられそうなものを少量ずつ様子を見ながら与えてください。
吐き気は落ち着いているはずなのに食欲が戻らないときは、食事しやすい環境を見直してみて。自分から食べてくれないようなときは、食べ物をスプーンなどで口もとまで運んであげるのも効果的です。環境の整え方や食事のサポートについては、こちらの記事で詳しく解説しているので、ぜひあわせてご覧ください。
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鍼灸も試してみて
動物病院の中には前庭疾患の治療で鍼灸を取り入れているところもあります。鍼灸は西洋医学とは異なるアプローチで体を健康な状態へと導いてくれる、東洋医学の一つ。副作用がほとんどないのでシニア犬の体に優しい治療法と言えます。効果の出方に大きな個体差がありますが、西洋医学で行き詰まってしまったときは鍼灸を試してみるのもおすすめですよ。犬の鍼灸についてはこちらの記事で詳しく解説しています。
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最後に
前庭疾患を発症すると、突然歩けなくなったり、首がガクッと傾いたり、激しい症状が現れることがあります。後遺症が残ることもあるので、かかりつけの獣医師に相談しながら、自宅でもしっかりケアしてあげましょう。