【年を取った大型犬と暮らす】獣医さんの愛犬ブリスちゃんのお話

今回お話をしてくれた方

今回お話をしてくださったのは、ラブラドールレトリーバーのブリスちゃんと14年半の年月を一緒に過ごされた獣医師の菊池亜都子先生です。

菊池先生の愛犬ブリスちゃん

ブリスちゃんは年を取ってからお腹の調子が悪くなることが多く、菊池先生は色々な工夫をされていたそうです。最後はおそらく、肺の腫瘍が原因でお空へ旅立ちました。

年を取った大型犬と暮らすということ

体が大きなシニア犬と暮らす上で課題になるのが、その重さです。ブリスちゃんを一人で抱えて移動することができなかったという菊池先生に、ブリスちゃんとの生活についてお話を伺いました。

ブリスちゃんとの暮らしがきっかけで行動治療の道へ

菊池先生は文系の4年制大学を卒業した後、一度一般企業に就職します。しかし、子どもの頃からの夢だった獣医の道にチャレンジするため、大学の獣医学部に入学し直しました。そしてブリスちゃんと暮らしたことがきっかけで、動物行動治療という、飼い主さんの間ではまだあまり知られていない分野へ進むことになります。動物行動治療の獣医師とは、犬や猫の攻撃行動(吠え、噛み)や自傷行為などの問題行動を専門に治療する獣医師のことです。

シニア期には色々な悩みも

ブリスちゃんは年を取ってからもずっと元気でした。食欲もあったし、毎日お散歩もがんばっていたそうです。しかし体力の衰えとともにやがてベッドに登れなくなり、トイレを失敗するようになりました。一度お散歩中に倒れてしまったこともあります。そんなとき、菊池先生は様々な工夫をして、ひとりで抱えることができないブリスちゃんと乗り越えていきました。

咳が出るように

ブリスちゃんは14歳くらいの頃から咳をするようになりました。検査の結果、肺に異常が見つかったものの、菊池先生は積極的治療をしないという決断をします。薬で咳や息苦しさを和らげつつ、食事を工夫したりマッサージをしてあげたりして、穏やかな時間を大切に過ごします。そして最期、ブリスちゃんは菊池先生の腕の中で安らかに息を引き取りました。

動物行動治療の世界へ

ブリスちゃんはどんな子でしたか?

子犬の頃のブリスは天真爛漫で、他の犬とも仲良く遊べる子でした。でも、1歳くらいの時にペットホテルに預けたことがきっかけで、他の犬が苦手になってしまったのです。その直後、私は他の犬と無理やり挨拶させようとしたり、厳しいしつけ教室に預けたり、色々なことを試しました。トレーニングにストレスを感じていたブリスはとてもつらそうでしたが、私には「ラブなんだし、絶対に他の犬と仲良くできるはず!仲良くしなくちゃ!!」という思い込みがあったのです。ブリスの苦しそうな姿を見ても、他の犬と仲良くさせることに必死でした。

結局ブリスちゃんは他の子と仲良くなれたのでしょうか?

実は、トレーニングは途中で断念しました。しつけ教室に預けたときにリードで叩かれているブリスを見て、私は自分が間違っていたことに気付いたのです。家族といる時のブリスはとても幸せそうだったので、それでいいやって。痛い思いや怖い思いをさせてまで、無理に他の犬と仲良くする必要なんてないと思ったのです。そう思えた途端、自分自身もフッと楽になりました。

あのときあの判断ができたから、ブリスはその後のびのびと暮らして14歳まで生きてくれたのかなって思います。ラブで14歳って、かなり長生きな方なんです。

その経験から行動治療に興味を持たれたのですね。

私が大学に入学した頃、ブリスは7歳になっていました。そして大学1〜2年生の頃に動物行動治療という道があることを知りました。吠えや攻撃、自傷行為などの問題行動の治療を専門に行う分野です。ブリスが他の犬に対して攻撃的だったので興味を持ちました。

大学の研究室にて

世の中には愛犬といい関係を構築できずに悩んでいる方がたくさんいます。犬の気持ちがわからず、どう接したらいいのかわからず、悩んでいる方は多いのです。中には、家族に対して激しい攻撃行動をする犬が手に負えず、しつけ教室に連れていっても改善が見られず、やむをえず安楽死させようとするまでに追い詰められてしまう飼い主さんもいます。

私自身はブリスといい関係を築けていましたが、ブリスの苦しみに気付くことができず、他の犬と仲良くさせることに必死だった自分の経験から、そういった飼い主さんの気持ちがよくわかりました。それで行動治療を通じて、犬のことも飼い主さんのことも救えたらいいなと思い、その道を進むことに決めました。

ブリスちゃんのシニアライフについて

先生が獣医学生になってから、シニアライフが始まったのですね。

獣医学部は6年制ですが、私は行動治療を学びたかったので大学を卒業した後にさらに4年制の大学院に進学しました。ブリスの体調が悪化したのはちょうど私が院生のときです。私自身、獣医学の知識が身についていたし、大学の先生にも相談に乗ってもらえたし、なにより学生だったので時間の融通がきき、ブリスと一緒に多くの時間を過ごすことができました。

シニアライフで工夫したことを教えてください。

ブリスは家の中でトイレをしない子だったので、一日3回くらいはお外に連れて行っていました。筋力が落ちてからは介護用ハーネスをつけてお散歩に行ってましたね。ただ、排泄をする姿勢を維持するのが少しずつ難しくなって、やがて排泄後にウンチの上に座り込むようになりました。

一般的には排泄時に後ろから飼い主さんが支えるといいと言われていますが、ブリスの場合、支えようとして触わると驚いてウンチが出なくなってしまったので、支えるタイミングが難しかったです。最終的には、排泄とほぼ同時くらいに素早くウンチを回収することで解決しました。

ずっとお外でトイレをしていたのですか?

14歳を過ぎてからも頑張ってお散歩に行っていたのですが、やがて寝ている間におもらしするようになりました。なのでそれからはオムツ生活でしたね。裁縫上手な私の母が、ブリスの服をリメイクしてオムツカバーを作ってくれたのが嬉しかったです。

お手製オムツカバー

自力で歩けなくなるとお外へ連れ出すのは難しいですよね…。

カートに入れてお外に連れて行こうと試したこともあったのですが、そもそもカートに入れるところまでが重くて無理でした。でも、寝たきりだと筋力がどんどん落ちてしまうので、お家の中でなるべく体を動かすようにしていました。

ブリスはとても甘えん坊な性格で、私が他の部屋に移動すると後をついてくる子だったので、その性格を利用して、わざと私が他の部屋に移動して追いかけてもらっていました。「おいで」と言って、来たら褒めてあげるという方法にすると、頭の刺激にもなっていいと思います。

また、当時は小さな庭付きの物件に住んでいたので、庭で過ごすことも多かったです。日中はブリスと一緒に庭に出て、ひなたぼっこをしたり、ブラッシングをしてあげたり、ブリスの好きなおもちゃで遊んだりしていました。

そうやって筋力を維持していたのですね。

ただ、やはり徐々に筋肉は衰えていって、そのうちブリスは自力でベッドに登ることができなくなってしまいました。私はいつもブリスと同じベッドで寝ていたのですが、ベッドに持ち上げることも重くてできず…。なのでお布団を買って床に敷き、その上で一緒に寝ていました。

それと、ブリスが14歳になる少し前に、黒猫のボンズを迎えたのですが、ブリスが横になっている上にボンズが飛び乗ってくるのです。それでしょっちゅう、私がブリスの上に覆いかぶさるようにして守ってました。今考えると変な光景ですが、そんな穏やかな生活も楽しかったです。

シニアライフで困ったことはありましたか?

ブリスが14歳になったばかりの頃、お散歩中に突然痙攣して倒れてしまったのです。当時のブリスは32kgもあったので、私一人で運ぶことができませんでした。その時は本当に困りました。しばらく様子を見ているとブリスの意識が戻ってきたので、結局ブリスは自力で歩いて家まで帰りました。それ以降、お散歩に行くときは必ず風呂敷を持っていくようにしました

風呂敷があると役に立つのですか?

ご近所さんにお散歩で仲良くなった犬友達がいて、ブリスが倒れた話をしたら連絡先を教えてくれました。もしまたブリスが倒れた時はすぐに連絡してって。風呂敷を広げてその上にブリスを寝かせ、両側から二人で風呂敷きを掴んで運べば即席担架になるんです。それでお散歩に行く時は携帯と風呂敷を必ず持っていきました。

ブリスちゃんが倒れた原因は分かったのですか?

おそらく一時的な脳虚血発作だと思いますが、詳しい検査はしませんでした。詳しく調べるためには麻酔をしてMRIやCTを撮る必要があります。その時のブリスはもう14歳で、大型犬としてはかなりの高齢でした。仮に検査をして腫瘍などが見つかったとしても、手術に耐えられる体力があるかどうかもわかりません。ブリスに苦しい思いをさせるより、一緒に穏やかなシニアライフを過ごしたいと思いました。結局、発作があったのもその一回だけだったので、あの判断でよかったのだと思います。

ブリスちゃんの咳について

ブリスちゃんが咳をするようになったのはいつ頃ですか?

ブリスが14歳になった頃、ちょうど黒猫のボンズを迎えた直後に咳をするようになりました。なので初めは猫アレルギーを発症したと思ったのです。そこでボンズを一時友人の家で預かってもらったのですが、一向にブリスの調子がよくならなかったので、レントゲン検査をしてみました。肺に白い影が映っていたので、おそらくは肺の腫瘍ではないかと言われました。

ブリスちゃんと黒猫のボンズちゃん

この時も詳しい検査をされなかったのですね?

そうです。レントゲンまでは麻酔なしでできますが、それ以上詳しいことを調べるためには麻酔が必要でしたし、原因がはっきりしたところで手術をするのは難しいと分かっていました。最終的に対症療法(病気の原因を治療するのではなく、症状を和らげるための治療)になるなら、ブリスにかかる負担は最小限に抑えたかったです。当時は大学院生だったので、大学の先生方にも相談しながら、咳を和らげる薬を飲ませていました。

咳は和らいだのでしょうか?

咳と炎症を抑える薬のおかげで、咳はだいぶ落ち着きました。それよりもお腹の調子が悪かったのが気になりました。食事をすると空気が溜まって、お腹が張っていました。ゴロゴロしていて、ゲップもすごかったんです。それでフードを変えたり、手作りごはんを色々試したり、お腹のマッサージを毎日していました。それから闘病日記もつけていて、毎日飲ませていた薬と与えていたごはんをメモしていたのです。自分でも見直せるし、それを持って行けばブリスを連れて行かなくてもかかりつけの獣医さんにも状況を伝えることができるので。

体が大きいと動物病院へ連れていくのも大変でしょうね…。

愛犬が病気になってからではなく、元気なうちから動物病院へ通って信頼できる獣医さんを見つけておくことはとても大切だと思います。私は大学の先生にも相談に乗ってもらっていましたが、近所にあった動物病院にも通っていました。そこのかかりつけの獣医さんがとても信頼できる方で、ブリスが自分で歩ける間はよく一緒に行って診てもらっていましたし、ブリスが歩けなくなったときは私一人で闘病日記を持って行き、相談に乗ってもらっていました。そしてブリスが亡くなる直前の2〜3日は、その先生が自宅まで往診に来てくださいました。ブリスは最期、おしっこを自分ですることができなくなってしまったので、その先生が排尿のサポートをしてくれたのです。

少しずつできないことが増えていったのですね。

ブリスは亡くなる数日前から排泄ができなくなり、亡くなる前日に寝たきりになりました。亡くなった当日は朝からブリスの意識が朦朧としていたので、私は学校を休んでブリスと一緒に過ごしていました。前日まで食欲があったのに、その日はもうお水も飲めなくて…。最期は私の腕の中で息を引き取りました。

これは獣医師としてではなく私個人の考えですが、食欲があるうちはまだその子自身に生きたい気持ちがあると思うのです。愛犬が生きることを諦めていないなら、私にできることはなんでもしてあげたい。だけど食欲をなくしてしまった子は、もう生きようとする意思がないということ。そうなったら無理に命を繋ぎ止めようとするのではなく、どんなに悲しくてもその現実を受け止めてあげないといけないんだろうな、と思います。ブリスがいなくなってから本当につらくて、立ち直るまでにかなりの時間がかかりましたが、今でもやっぱりそう思います。

立ち直るためにやってよかったことがあれば教えてください

私の場合、ボンズの存在が心の支えになりました。ブリスが亡くなった後も無邪気に走り回っていて…。この子のためにもしっかりしないと、と思えたのです。それから、昔の写真を引っ張り出してアルバム作りに没頭しました。大好きなブリスの幸せそうな顔を見ながら楽しかったたくさんの思い出を振り返ることができて、アルバムが完成する頃にはだいぶ気持ちが落ち着きました。

実はブリスが亡くなった直後、ラブを見るだけで涙が出てきて触れることなんてとてもできなかったのですが、それでも時間の流れとともに少しずつ悲しみは癒えていきました。やがてラブとすれ違っても笑顔で見送れるようになり、ブリスが亡くなってから1年くらい経つ頃には、ラブに触れることができるようになりました。

14歳半でお空へ旅立ったブリスちゃん