愛犬が高齢になると体調を崩すことが増えてきます。検査や治療のために全身麻酔が必要になることもあるでしょう。しかし、麻酔のリスクを考えると、積極的な検査や治療をすべきかどうか悩まれる方も多いと思います。ここでは、日本獣医循環器学会に所属されている獣医師の福永先生に、シニア犬の麻酔のリスクについて詳しいお話を伺います。
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麻酔が必要になるのはどんな時ですか?
全身麻酔の効果と目的
麻酔とは、薬物によって痛みや感覚を消失させることで、検査や手術に伴う体への負担から動物を守る目的で行います。全身麻酔を使用すると一時的に犬に意識を失わせ、筋肉を弛緩させることができます。犬に痛みや恐怖などのストレスを感じさせることなく、正確な検査や治療をすることが可能になります。全身麻酔は手術のほかにも、体の状態を正確に把握するためのCTやMRIなどの画像検査、歯科治療、がん細胞にピンポイントで放射線を当てる放射線療法などを実施する時にも使われます。
麻酔にはさまざまな種類がある
一概に麻酔と言ってもその種類はさまざまで、必要量の調節がしやすいもの、痛みを抑える効果が強いもの、呼吸を抑制する力が強いものなど、それぞれ異なる性質があります。一般的には必要な処置や状況に応じて、複数の薬剤を組み合わせて使用します。その子にとってどの薬剤が最適か、どのくらいの量の麻酔が必要になるのか、麻酔によるリスクはどの程度なのかは、事前の「麻酔前検査」で詳しく調べて検討します。
全身麻酔と局所麻酔と鎮静の違い
手術などで使用する全身麻酔の他に、体の一部の感覚を完全に消失させる「局所麻酔」や、意識を朦朧とさせる「鎮静」も麻酔の一種です。それぞれの特徴は以下の通りです。
- 全身麻酔:犬の脳に作用し、完全に意識を消失させる。長時間動かないようにしたいときに使用する。
- 鎮静:犬の脳に作用し、意識を朦朧とさせ、動きにくくさせる。簡単な処置や短時間で終わる検査などで使用する。意識はあるので強い刺激を与えると多少動くこともある。
- 局所麻酔:体の一部の感覚を消失させるだけで意識ははっきりしていて、体も動かせる。痛みを抑える目的で使用することが多い。
全身麻酔をかける際、状況に応じて鎮静や局所麻酔を併用することもあります。
全身麻酔にはどのようなリスクがあるのでしょうか?
全身麻酔のリスク① 麻酔薬の副作用
全身麻酔には血圧の低下、内臓機能の低下、呼吸機能の低下などの副作用があります。そのため、全身麻酔をかけている最中は様々な機材を使って犬の全身状態を把握し、状況に応じて麻酔の量を調節したり、追加の薬剤を使用したりしながら処置が行われます。しかし、高齢の犬や短頭種、肥満の犬は麻酔の量の調節が難しく、こうした副作用が強く現れることがあります。
全身麻酔のリスク② 最悪の場合、麻酔から覚めないケースも
全身麻酔は筋肉を弛緩させ、自力での呼吸を抑制する作用もあります。そのため、安全な呼吸を維持するために、喉に気管チューブを入れて呼吸を管理することが一般的です。また、自力での呼吸が難しいケースでは人工呼吸器で機械的に呼吸を管理します。
通常、麻酔を止めると「体が麻酔前の状態に戻ろうとする反応(自発呼吸を再開する、血圧を上げるなど)」が現れるものなのですが、稀に麻酔を止めてもこのような反応が見られないことがあります。例えば、薬剤に対する強いアレルギー反応が現れて容体が急変した場合に、麻酔薬の投与をすぐに停止しても呼吸や血圧が戻らないことがあります。また、心臓や呼吸器、脳などに異常があると、手術等が終わった後に麻酔を止めても自発呼吸が戻らず、覚醒できないことがあります。
麻酔薬の作用を打ち消す拮抗薬が存在している場合は、その拮抗薬を使うことで覚醒を促すことができるのですが、手術などでよく使用される全身麻酔薬には拮抗薬が存在しないものがほとんどです。拮抗薬がない場合、血圧が低ければ血圧を高める薬を使用したり、体温が低下していれば保温したりしながら覚醒を待つ形になりますが、懸命に処置をしてもそのまま覚醒しないケースも残念ながらあります。
全身麻酔のリスク③ 麻酔後のリスク
麻酔を止めて気管チューブを抜くタイミングは、唾液や嘔吐物などが気管に入ってしまう誤嚥(ごえん)が起きやすく、空気をうまく体に取り込めなくなることもあります。嘔吐物が気管に入らないよう、手術前に絶食をするのですが、それでもチューブを抜くときは大きな変化が起こりやすく、容体が急変しやすいです。
また、麻酔薬を使用すると肝臓と腎臓に多少の負担がかかるため、高齢になって腎臓の機能が著しく落ちていると、麻酔薬を使用することで急性腎障害に発展したり、処置後に肝機能障害になることも少なからずあります。
老犬になると麻酔のリスクが高くなるのでしょうか?
麻酔のリスクが高まるケース
高齢になると体力や免疫力も低下します。麻酔の解毒や代謝に関わる肝臓や腎臓の機能も低下しやすいため、どうしても麻酔のリスクは高まります。また、以下のような病気があると、麻酔のリスクはさらに高くなります。
- 心臓疾患
- 呼吸器疾患
- 腎臓病
- 肝臓病
- 脳の疾患
ただし、持病がある子でも、糖尿病やクッシング症候群などの病気で、投薬によって状態が安定しているのであれば、麻酔のリスクは健康な子とさほど変わりません。尚、フレンチブルドッグやパグなどの短頭種や肥満の子は、健康な状態でも麻酔のリスクは高くなります。
【ケース別】麻酔のリスクについて
アメリカ麻酔学会は、犬の体の状態をクラス分けし、それぞれの麻酔リスクを以下のように分類しています。
動物の状態 | 具体例 | 麻酔関連死亡リスク | |
Ⅰ | 健康で明らかな病気がない状態 | 緊急ではない麻酔・手術(避妊・去勢手術など) | 0.05〜0.591% |
Ⅱ | 健康で局所的な疾患のみがある場合 軽度の全身疾患がある場合 |
肥満、シニア犬、健康に影響がない骨折のような軽度の怪我、膝蓋骨脱臼など | 0.726% |
Ⅲ | 重度の全身疾患がある場合 | 慢性的な心臓疾患、脱水、貧血、軽度の肺炎、発熱、骨が皮膚から露出するほどの激しい骨折 | 1.01〜1.33% |
Ⅳ | 重度な全身疾患があり、生命の危機にある場合 | 重度の脱水、心不全、腎不全、肝不全、膀胱破裂、脾臓破裂など | 18.333% |
Ⅴ | 瀕死の状態、手術の有無に関わらず24時間以上の生存が期待できない場合 | ショック状態、多臓器不全、重度の出血など |
麻酔をかけるなら早めに
上記のような持病があると、健康な子よりも麻酔のリスクは高まりますが、心臓病や気管支の病気などは、手術で完治させることが可能なケースもあります。ただし、病気が進行して心臓が弱くなっているとその分麻酔のリスクは大きくなるので、積極的な治療を希望する場合はできるだけ早めに決断してあげたほうがよいでしょう。また、腎臓病もステージ1〜初期のステージ2であれば、麻酔が可能なケースが多いです。
手術時の麻酔と検査時の麻酔でリスクは変わりますか?
麻酔をかける時間が長くなるほど、麻酔中に何かしらのトラブルが起きる確率は高くなります。また、体にかかる負担が大きい大がかりな手術では、痛みが起きないように様々な薬を併用したり、麻酔を若干深めにかけることが多いので、検査の際の麻酔と比べるとややリスクが高くなる可能性はあります。処置の内容と必要な時間によって、麻酔のリスクは変動します。
麻酔のリスクを抑えるためにできることはありますか?
事前検査
不測の事態が起きる確率を下げるために、麻酔をかける前に健康状態を正確に把握する事前検査を行います。麻酔の影響を受けやすい肝臓や腎臓の機能が低下していないか血液検査で調べたり、心臓や肺の状況を確認するためにレントゲン検査をしたりすることもあります。また、極度に体調が悪いときに麻酔をかけると容体が急変する可能性が高くなるので、少し状態が上向くまで手術を延期することもありますし、体調を安定させるために必要な処置をすることもあります。
麻酔前投与薬
麻酔のリスクを抑えるためには、麻酔をかける前に鎮静剤や鎮痛剤などの薬剤を使用することも大切です。こうした薬で不安や恐怖を取り除いてから動物の身体を保定し、麻酔をかけるために必要な気管挿管などの処置を行います。強い不安や恐怖、痛みがあると、麻酔が効きにくくなってしまうので、こうした薬を併用することで、動物の体への負担や副作用の強い麻酔薬の使用量を下げることができるのです。
徹底したモニタリング
些細な変化にも対応できるよう、麻酔をかけている間は血圧計や心電図、呼気CO2モニターなどの様々な機械を用いて容体をモニタリングします。不測の事態に迅速に対応するため、手術などの処置をする医師とは別にモニタリング専用のスタッフがいて、容体を細かく観察するのが一般的です。麻酔科医がモニタリングをしながら、状況に応じて麻酔薬の調節をする動物病院もあります。特に麻酔リスクが高い子の場合は、麻酔から覚めるタイミングで大きな変化が起こりやすいので、施術後も徹底したモニタリングをすることで迅速な対応が可能になります。
尚、麻酔による急変のリスクは日を追うごとに低くなります。日帰り入院や一日入院の場合は、退院後も容体が変化するケースも稀にあるので、数日間はおうちでしっかり様子を見てあげる必要があります。
麻酔が使えない場合、代わりにできる処置はありますか?
持病や年齢的な問題から全身麻酔がためらわれるような場合、鎮静や局所麻酔での処置が可能なこともあります。大掛かりな手術や動くと危険な処置は全身麻酔でないと難しいですが、痛みの少ない短時間の処置やCT検査などであれば、鎮静や局所麻酔で対応できることもあります。
その子の性格や体調によっても実施可能かどうかは変わってくるので、かかりつけの獣医師としっかり相談して最適な方法を探してあげてください。
最後に
愛犬が高齢になると、難しい決断をしなければならないことが多くなります。愛犬の体調だけでなくその子の性格も考慮して、かかりつけの獣医師やご家族ときちんと話し合って最善策を探しましょう。悩んだ時はセカンドオピニオンを利用するのもひとつです。